97歳で死去された。表千家の不審庵の理事でもあられ、長生会の、大御所でもあり、今利休ともいわれ
わが師の村田先生は、お茶を始められるときから、お弟子さんで、私たちも、表千家、長生会、相法を学んできたし、次期の宗完宗匠も、70歳を迎えらえてるし、代々,京都大学を出て居られる、家系である
3本柱と言うけれど、表千家の存続は、不審庵、堀内家、久田家 がって、今ある。
私も、何回もお目にかかって。『脇を通られるだけで、自然に頭が下がるお人だった。、、、、.お子はなく、ご病気の奥方を残しての死去、参列された先生の話を、昨日稽古の前にお聞きし、茶とうで、供養した。
全国から、何千人もの列席で、お香典なし、お供花なし、名前の記載だけ。、、、商品券のおかえしガあったそうである。、、、
嵯峨野のご自宅で、お茶を振る舞っていただいたことがあるが、家庭画報に、嵯峨野の竹林を歩かれている姿が、よく似合うお人だった。
今年は、イチゴが豊作。